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中村哲さんのマインド、九大がネットに集約…死去から3年 - 読売新聞オンライン

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 アフガニスタンなどで人道支援に取り組んだ医師の中村哲さん(当時73歳)が、武装集団の凶弾に倒れて4日で3年となる。母校の九州大は、中村さんの志を次世代に継承しようと、中村さんが著した寄稿文や講演録などを収集し、「 アーカイブ 」(保存記録)としてインターネット上に公開する取り組みを進めている。今秋には、中村さんが手描きした用水路工事の図面など貴重な資料も加わり、活動への思いを感じることができる。(佐藤陽)

 中村さんは福岡市生まれで、同大医学部(福岡市)を卒業後、病院に勤務。その後、現地からの派遣要請を受けて、1984年にパキスタン北西部ペシャワルの病院に赴任した。ハンセン病患者の診療に尽力し、隣国アフガニスタンにも活動の範囲を広げて、2000年以降は大干ばつに見舞われた現地で井戸や農業用水路の整備に取り組んだ。

 19年12月4日の銃撃事件後、九州大は「中村哲先生の志を次世代に継承する九大プロジェクト」をつくり、中村さんが現地代表を務めた民間活動団体「ペシャワール会」(福岡市)と21年3月に相互協力協定を締結。同会の協力を得ながら中村さんに関する資料を幅広く収集し、同大付属図書館のサイトに開設している「 中村哲著述アーカイブ 」で順次公開してきた。

 著述アーカイブには今年11月末時点で、出版社から許諾が得られた中村さんの著書の本文や新聞・雑誌への寄稿文、現地の写真など約750点が登録されている。

 10月には、中村さんが03年に手描きした用水路工事の図面も加わった。鉛筆で書き重ねられた線からは、現地の技師と図面を見ながら試行錯誤した様子が感じ取れる。図面には、同大付属図書館eリソース課の柳田朱里さん(43)が、同会から当時の状況や作業の工程を聞き取った説明文も添えられている。

 また、パキスタンのペシャワルでハンセン病患者の診療を行っていた時期に、中村さんが日本人ワーカー向けに作成した「ペシャワール らいセンターで働く人の手引き」(1995年)も閲覧できる。手引には、<教えたり指導に行くのではなく、「協力」にゆくのである><ペシャワール会の働きは現地を理解しようとする歴史だったとも言える>などとつづられており、中村さんの思いの一端がうかがえる。

 このほか、同会が会員向けに発行している会報の最も古い「準備号」(83年)や、現地で使われるウルドゥー語を教える中村さんの声を録音したカセットテープの音源なども公開している。

 同大は現在も資料を収集しており、eリソース課の堀優子課長(53)は「中村先生が著してきたものを散逸させずに蓄積することで、一人でも多くの人に中村先生のマインドを受け継いでもらいたい」と語る。そのうえで、「今後、中村先生の人物像を研究する人が現れた際には、この貴重な資料を活用してもらえれば」と期待している。

 ペシャワール会の村上優会長(73)は「九州大が中村先生に関する資料を収集することで、会以外の団体や個人からも資料が集まりやすくなる。また、記録の保存という観点でも安定しており、恒久的に残ることになるのでありがたい」と話している。

  九州大学が公開している「中村哲著述アーカイブ」はこちらから

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December 03, 2022 at 01:00PM
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